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柴沼家醤油造り320年の歩み
 
元禄元年
(1688年)
柴沼庄左衛門と名字帯刀を許される。
庄屋として米穀集荷穀物肥料雑貨販売を手広く行なう傍ら醤油、味噌醸造を始める。
   
明和2年
(1765年)
土浦醤油仲間に入る。(醤油屋仲間証文帳、柴沼家蔵、土浦市立博物館に貸出)
   
明治年間 醤油醸造高が増大し、新たに諸味蔵(大新蔵)を造る。
醤油醸造 年間200石(36kl)に達する。
   
明治40年 柴沼家の家業を会社組織に変更する。(柴沼醤油合同会社)
   
大正9年 諸味蔵(辰巳蔵)を造る。
   
昭和18年 第二次世界大戦による原料統制により生産量が低下。
   
昭和33年 柴沼醤油醸造(株)設立。
   
平成24年 食品産業センター主催の「平成23年度優良ふるさと食品中央コンクール」で最高位の農林水産大臣賞をお常陸が茨城県で初めて受賞。
土浦醤油屋仲間証文帳(1765年)
現存する江戸時代の蔵の木桶
 
創業元禄元年(1688年)

柴沼家(土浦市)は醤油を造り続けて320余年(創業元禄元年1688)になります。
同じ場所、同じ一族の経営のもとで、一度も途絶えることなく続けてきた営みの跡は敷地内のいたる所に見られ、中でも江戸、明治、大正のそれぞれの時代に造られた蔵とそこに置かれた木桶は昭和、平成の近代的製造工場と共存し今だ現役の姿を見せています。
むしろ古い蔵や木桶に棲みつく様々な種類の菌の働きこそが当社の醤油醸造においては重要であり、「柴沼の醤油」の個性の源となっています。

醤油業界のマーク『亀甲』の由来

柴沼家の商号「キッコーショウ」の由来は江戸時代にさかのぼります。
赤穂浪士の討ち入りと同時代の土浦藩主土屋政直侯は、藩内で収穫される良質の大豆と小麦に着目し、藩の有力な商品として醤油醸造を奨励し販売させました。当時ぜいたく品であった醤油は江戸幕府老中を務める土屋侯の後押しを得て江戸に販路を拓きました。
土浦の醤油のマークにキッコー(亀甲)印が多いのは、その形から亀城とよばれた土浦城に由来します。柴沼家は政直侯より「亀印のもと正しく商う」ということで「亀甲正(キッコーショウ)」をいただきました。(「常陽芸文」1992年2月号「醤油どころ今むかし」)

土浦は関東の醤油の三大名醸地

江戸時代も明和2年(1765年)頃になると土浦では、醤油醸造が更に盛んに行なわれており、中でも柴沼家を含む有力な19軒の醤油醸造家が醤油仲間の組合を作って価格や生産量を決め、江戸に高瀬船で搬送していました。(醤油屋仲間証文帳 柴沼家蔵 土浦市立博物館に貸出し)
醤油のことを「御下地 おしたじ」(広辞苑第2版)ともいうのは常陸の国(現在の茨城県)で生産された醤油が美味しく評判がよかったので「常陸(ひたち)の国の醤油」、「お常陸 おひたち」が転化したものと言われています。又、醤油の異称「紫 むらさき」は筑波山の雅名「紫峰」「紫山」を語源とする説がこの地方では有力です。
江戸から明治にかけての土浦が野田、銚子と共に関東の醤油の三大名醸地と称されたことの証です。
明治以降、時代の流れの中で醤油仲間は様々に業態を変えていきましたが、柴沼醤油醸造は桜川、霞ヶ浦、利根川、江戸川、さらに江戸市中の水路を通って直接江戸日本橋へ運ばれた土浦の醤油の歴史を伝えながら今も桜川のほとりで醤油を作り続けています。


商号「キッコーショウ」
現在も観光客でにぎあう筑波山
 
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